勝手に柳田國男 弁慶の続き石
道の駅でゲットしたイラストマップに“弁慶の続き石”っていうのがありました。
弁慶と聞いたら行かない訳にはいきません。
写真では解りにくいので読んでみましょう。
“続石
小高い杉林のなかに、古代巨石文化がのこし たものといわれている大きな石があります。 二つならんだ石の一方の上に、幅7メートル、 奥行5メートル、厚さ2メートルほどの巨石 が笠石としてのっています。
弁慶がそばの石に笠石をのせたら、位の高い 石なのに大石の下になるとは残念と嘆いたの で、いまの石の上におきかえたという話を、 『遠野物語拾遺』第11話が伝えています。”
「遠野物語」を引用してみます。
“綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。
昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。
泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。”
-『遠野物語拾遺 第十一話』より-
「遠野物語」第九十一話には、この続石の奥で、鳥御前と呼ばれていた鷹匠が、赤顔の男女と遭遇。いたずらに刃物を抜いたところ、赤顔の男に蹴り飛ばされ、失神した。山神の遊び場を汚したとされて、その祟りでその後死んだという話が載っているそうです。
駐車場も便利なんですが、既に夕方になっており、この後仙台迄行かなければならない事を考えると、現物を見ることは出来ませんでした。
登山口には鳥居があるので解りやすいと思います。
ネットから借り物画像ですが、続き石自体が鳥居の役目をしているようです。
巨石、奇岩と言うと弁慶と結びつける事が多いようです。
小野にも“弁慶の重ね石”というものがありますし、
京都には、ズバリ“弁慶石”があります。
旅行で立ち寄った先で、調べてみるのも面白いかもしれません。